DXに取り組む企業のうち、DXを推進する人材像を決めて社内に周知している企業は、情報処理推進機構(IPA)の2025年度調査で16.2%にとどまります。DX研修の事例を探しても、講座名とカリキュラムの一覧に行き着くことが多いはずです。
ところが、DXで人材育成を進める会社の資料を開くと、先に決めているのは、どんな人材をどの水準まで育てるかでした。研修はその後に、層ごとに中身を変えて置かれています。
IPAが企業に聞き取ってまとめた20社の事例では、20社すべてが人材の型を定め、そのうち4社は育成目標を人数で開示しています。
DX研修の事例を集めた代表的な公的資料はIPAの活用事例集
DX研修の事例を1か所で読める公的資料の代表例が、IPAのデジタルスキル標準(DSS)活用事例集です。DSSは経済産業省とIPAが定めた、DXに必要な人材とスキルの物差しで、20社はこれを基に自社の育成を組み立てています。
IPAはDSSを使っている企業に聞き取りを行い、案内ページ(2024年4月30日公開)で紹介してきました。事例集の本体は2025年10月24日の更新版で36ページあり、20社の資料をそのまま収めた構成です。
出所:独立行政法人情報処理推進機構「デジタルスキル標準(DSS)活用事例集」(2025年10月24日更新・n=20社)。
20社は人材を何で区切ったか
20社の事例は、どれも研修の前に「育てる人材の型」を定めています。区切り方は会社ごとに違い、数も語も統一されていません。
会社 | 人材の区切り方 | 研修・育成の特徴 |
|---|
富士フイルムHD | 3類型 | 研修とOJTの一覧を使うAIコーチングを構想 |
ファミリーマート | 3人財 | アセスメントで選抜し、3つの研修へ |
出光興産 | 5つのスキル×3つの熟練レベル | 基礎・ブリッジ・専門の段階研修 |
ロジスティード | 8つの人財カテゴリ | 社内のエキスパートが専門教育 |
関西電力 | 三層の人財 | 習熟度ごとの研修と出向 |
デンカ | DSSの5類型でリソース設計 | アセスメントで効果測定 |
東京電力HD | 6職種・Lv.0〜Lv.4 | 全社員がLv.1以上を目指す |
リコー | DSSの人材類型・ロール | デジタルアカデミーと留学制度 |
帝人 | 4つの類型と8つのロール | 全世界でDX初級教育 |
双日 | 5段階のレベル×2分野 | 入門は全社員、基礎は全総合職 |
NTTコムウェア | 約770項目のスキル | 道場とレベル認定 |
東芝 | 12種類のロール | 約2万5千人がスキル登録 |
ベネッセ | 7職種12区分 | 職種×レベル別の研修 |
資生堂インタラクティブビューティー | 約30人材 | 4Dサイクルで評価・育成・配置 |
大日本印刷 | DSS準拠のDX人材 | 既存の人材定義から再定義 |
イトーキ | 学びのステージ | 全社員約2千人の「DX 学びの場」 |
旭化成 | デジタルプロ人材ロール | DXオープンバッジ |
トヨタ自動車 | 22種の役割 | レベル別教育とバッジ |
味の素 | ビジネスDX人財 | 全従業員のスキル見える化 |
イオン | 6職種×3レベル | 公募制の育成プログラム |
出所:IPA「デジタルスキル標準(DSS)活用事例集」(2025年10月24日更新)をもとにOffers作成。
区切りの数は3から約770まで開きがあります。細かいのは、エンジニアのスキルを約770項目に分けて個人単位で管理するシステム開発会社や、職種ごとのスキルマップをアサインと採用に使うベネッセ(7職種12区分)です。
粗いのは、全社員の底上げと推進者の選抜を目的に置くファミリーマート(3人財)や富士フイルムHD(3類型)でした。区切りが粗いから研修の対象を決めるだけ、という関係ではありません。富士フイルムHDは3類型のまま育成と採用を強化し、アセスメントの結果を人材配置と育成計画にも使っています。
人材像を決めて周知している企業は16.2%にとどまる
IPA『DX動向2026』(2025年度調査・DXに取り組んでいると回答した企業が対象)では、DXを推進する人材像を「設定し、社内に周知している」企業は16.2%で、2024年度の20.4%から下がりました。「設定していない」「わからない」の合計は約5割で、人材像を定めて社内に周知するところまで進んだ企業は一部にとどまります。
DX人材の評価基準が「基準はない」企業は76.1%です。DX推進に必要なスキルを把握できていない企業も52.8%で、半数を超えました。
出所:独立行政法人情報処理推進機構「DX動向2026」(2026年7月30日公表・2025年度調査)。
スキルを把握している企業ほど不足感が小さい
同じ調査で、人材の「質」が「大幅に不足している」と答えた割合は、スキルを把握している企業で40.6%、把握できていない企業で64.0%でした。差は23.4ポイントです。
必要なスキルと社員の現状を把握している会社ほど、人材の質の不足を小さく感じています。20社の事例が研修の前に人材の型を置く手順は、この差と同じ方向です。
出所:IPA「DX動向2026」図表4-10の本文(2026年7月30日公表)。
人数を開示した4社は、育成目標を三層で置く
育成目標を人数で開示しているのは、20社のうち4社に限られます。その4社を並べると、全社員に近い層、各部門の推進者の層、高度な専門人材の層の三層になり、上の層ほど人数を絞っています。
会社 | 全社員層 | 推進者層 | 高度層 | 目標の時点 |
|---|
関西電力 | 約17,000名 | 約5,600名 | 約50名 | 2025年度末 |
東京電力HD | Lv.1以上 6,000名 | Lv.2以上 1,000名 | Lv.3以上 100名 | 2024年度末 |
出光興産 | ベーシック 10,000人 | コア 3,000人 | エキスパート 450人 | 2030年度 |
双日 | 入門は全社員 | 応用 約1000人(総合職の50%) | エキスパート 約200人(総合職の10%) | 中計2026 |
出所:IPA「デジタルスキル標準(DSS)活用事例集」各社資料(2025年10月24日更新)の育成目標をOffersが一覧化。
推進者層は全社員層の2割弱から3割に置く
双日は全社員層を人数で示していないため、比率を比べられるのは関西電力・東京電力HD・出光興産の3社です。いずれもIPAの資料には比率の記載が無く、以下は開示された人数からOffersが算出した値になります。推進者層を全社員層で割ると、関西電力は33%、出光興産は30%、東京電力HDは17%です。開示された人数を割った値で、各社が比率そのものを目標に掲げているわけではありません。
高度層の比率もOffersの算出で、関西電力で全社員層の0.3%、東京電力HDで1.7%、出光興産で4.5%です。高度層は少数を選んで深く育てる層として扱われ、次の節で見るとおり研修の外での実践が中心になります。
出所:IPA「DSS活用事例集」(2025年10月24日更新)をもとにOffers算出。
研修の中身は層ごとに変わる
三層を置いた会社は、層ごとに研修の形を変えています。全社員層は知識の底上げ、推進者層は実務の課題を持ち込む研修、高度層は研修の外での実践という分け方です。
全社員層はeラーニングと資格で底上げする
帝人は2023年度に、全世界の従業員8,000名へ「DX初級教育」を展開しました。E-learningを使い、デジタルの知識とあわせて変革の意識づけに力を入れたカリキュラムです。
イオンはオンライン講座「イオンDXラボ」を2021年から開き、のべ1万5000人近い従業員が参加しました。東京電力HDはITパスポートの取得を促し、味の素は2024年度にITパスポート試験の受験を補助しています。
出所:同事例集の帝人・イオン・東京電力HD・味の素の資料(IPA、2025年10月24日更新)。
推進者層は自部署の課題を研修に持ち込む
ファミリーマートは、全社員のリテラシーを上げた後にアセスメントで受講者を選び、DX推進スキル研修・データ活用研修・システム開発推進研修の3つを置いています。DX推進スキル研修では事業変革プランを立て、社内の企画プレゼンで評価し、優れたプランは実際に採用して実現まで進める仕組みです。
関西電力は推進者層にDX適用実践研修と生成AI研修を置きました。出光興産は基礎と専門の間に「DXブリッジ研修」を挟み、デンカは「知ってる」から「できる」へを掲げて実務研修を進めています。イオンは専門人材育成研修「イオンビジネススクール」にデジタルコースを置き、経済産業省のマナビDX Questの教材を使ってグループ従業員125名を育成しました(同社の区分では2・3層向け)。
出所:同事例集のファミリーマート・関西電力・出光興産・デンカ・イオンの資料。
高度層は研修の外で育てる
関西電力は高度DX人財を、グループ会社のK4 Digitalへの出向やOJT(職場の実務で育てる方法)で育てる形です。リコーは2024年6月に、顧客企業と事業を共創する自社拠点(BIL TOKYO)への留学生制度を始めました。3か月のインターン期間を経てセレクションを通過した社員を、2年間送り出しています。
ロジスティードは2022年から、米マサチューセッツ工科大学(MIT)への留学派遣を続けてきました。
出所:同事例集の関西電力・リコー・ロジスティードの資料。
専門人材は育成と採用・外部の力で分けて埋める
事例集には、必要な専門人材のすべてを社内の研修で賄わず、社内で育てる職種と、採用や外部の力で補う職種を分けている会社があります。デンカ・双日・関西電力・味の素の4社の分け方は次のとおりです。
会社 | 社内で育てる人材 | 採用・外部で補う人材 |
|---|
デンカ | ビジネスアーキテクトは全従業員、データサイエンティストは研究職 | デザイナーとソフトウェアエンジニアは要件定義のみ行い外注 |
双日 | ビジネスデザイン人材とデータ分析人材 | デザイナー・ソフトウェアエンジニア・セキュリティはデジタル専門部隊や外部パートナーのプロ人材も起用 |
関西電力 | 三層の人財を習熟度ごとに育成 | キャリア採用で高度で多様な専門人財を獲得 |
味の素 | 全社にデータドリブンな発想を持つ人財を育成 | 新ビジネスへの即戦力となる専門人財を採用 |
出所:IPA「DSS活用事例集」(2025年10月24日更新)の各社資料をOffersが整理。
育成だけでなく採用の側からも専門人材を埋める会社は、この4社にとどまりません。富士フイルムHDは3類型の人材の「育成・採用を強化」と書き、ベネッセは職種ごとのスキルマップを「アサイン・育成・採用」に使っています。人材の型を決めておけば、同じ物差しで育成の対象と採用の要件を書けるのが利点です。
採用で補うときも、DSSの型で書いた人材の要件は、そのまま求人の要件として使えます。エンジニア職を採用で補うなら、その求人と採用活動が候補者からどう見えているかを確かめてから募集を広げると、打ち手を絞りやすくなるでしょう。エンジニア採用力チェックは、企業URLから採用力を5つの指標で採点するツールです。
受講者を選抜や公募で決める会社がある
推進者層と高度層の研修は、全員に同じものを配らず、受ける人を選んでいます。選び方は選抜と公募の2通りです。
選び方 | 会社 | 内容 |
|---|
選抜 | ファミリーマート | アセスメントの結果で研修の受講者を選ぶ |
選抜 | リコー | 3か月のインターンの後にセレクション |
公募 | イオン | 全国のグループ各社のあらゆる職種の従業員が受講できる |
公募 | 関西電力 | 社内公募型制度(e-チャレンジ)で挑戦の機会をつくる |
出所:IPA「DSS活用事例集」各社資料(2025年10月24日更新)をもとにOffersが分類。
公募は挑戦したい人に機会を開き、選抜は受講者の水準をそろえる役割を持ちます。両方を組み合わせる会社もあり、東京電力HDは人財公募と選抜育成プログラムを育成の流れに並べました。
研修の効果はスキルの到達と実務の成果で測る
20社の中には、研修の効果をスキルの到達や実務の成果で示す会社があります。
味の素は、従業員の80%以上がビジネスDX人財育成初級コースを受け終えた後も、目標とするスキルレベルへの到達にはまだ届いていないと自ら評価しました。そこで2024年度に、基礎知識の底上げとしてITパスポート試験の補助を始めました。
出所:同事例集の味の素の資料(IPA「DSS活用事例集」2025年10月24日更新)。
実務の成果で測る例
出光興産はノーコードアプリの開発を追っています。2024年度には231名が開発した583アプリが業務で使われており、開発者は2023年度の138名から1.7倍に増えた計算です(原典の表記は+68%)。
同社では研究者の3人に1人がMI(材料開発に計算科学を使う手法)のスキルを持ち、マネージャー層の9割がMI/DXリテラシーを持つ状態です。
資生堂インタラクティブビューティーは約30の人材像を定め、約2年でDX戦略を担うデジタル人材を3倍以上に増やしました。デンカはDSSと紐づくアセスメントで教育の効果を測っています。
出所:同事例集の出光興産・資生堂インタラクティブビューティー・デンカの資料。
自社のDX研修を設計する4つの手順
人数を置いた会社では、育成が経営の評価の対象に入っています。関西電力は人財育成数をDX戦略のKPIに入れ、成果とあわせて統合報告書で社外に公開しました。研修が人事部門の施策にとどまらず、経営計画の数字として扱われる形です。
20社の事例を自社に移すなら、研修会社を選ぶ前に次の4つを決めておきたいところです。
- 人材の型を決める:DSSの人材類型とロールを基に型を置く。3類型の富士フイルムHDも配置と採用に使っており、細かさより育成・配置・採用で同じ型を使うことを優先する
- 三層の目標人数を置く:全社員層・推進者層・高度層に人数を置く。比率を比べられる3社では、推進者層は全社員層の17%から33%
- 層ごとに研修の出口を決める:全社員層は資格や修了、推進者層は自部署の課題の企画、高度層は出向・留学・実案件を出口にする
- 到達をアセスメントで測る:型ごとのスキルの到達度で効果を見て、届かなければ味の素のように底上げの施策を足す
DX人材の型の考え方はDX人材の定義と育成の進め方で、DXの取り組み全体にどの程度の投資が行われているかはDX費用の相場で扱いました。
事例を読むときは出所と時点を確かめる
事例集の数値は各社が示した目標や実績で、時点は会社ごとに違います。関西電力は2025年度末、東京電力HDは2024年度末、出光興産は2030年度の目標です。
DX事例がどの母集団から選ばれたかを確かめる考え方は、DX事例30社の母集団と再現の条件にまとめています。
DX研修の事例から持ち帰るのは人数の設計
IPAの活用事例集に載る20社は、研修の名前より先に育てる人材の型を決め、人数を開示した4社は三層の目標人数まで置いていました。研修の中身は層ごとに変わり、効果はスキルの到達と実務の成果で測られています。
3社の比率を従業員1,000人の会社に当てはめると、推進者は170人から330人、高度人材は3人から45人です。推進者の人数は研修で届く規模ですが、高度人材は数人から数十人で、出向や留学、採用と組み合わせて埋める規模になります。講座を比べる前にこの2つの人数を社内で決めておけば、どの研修を何人分買い、どこを採用で埋めるかが同時に決まります。