内部通報の件数が、2022年度の167件から2024年度は130件まで減りました。スーパーを展開するイズミは、翌年度の目標を実績より50件多い180件に置き、より相談・通報しやすい窓口を目指すためと書いています。件数の減少を改善とはみなさない向きに目標を決めた、と読める1行です。
人事KPIの事例を集めると、並ぶ指標の名前はどの会社もよく似ています。離職率、育児休業の取得率、エンゲージメント。違いが出るのは、数字が目標から外れた年や、目標そのものを動かした年に書く理由の1行です。
金融庁が好事例に選んだ有価証券報告書で上場6社の人事KPIを読むと、そのうち4社の開示で、その1行の書き方が5つの型に分かれます。持ち帰る判断基準は1つ、目標を動かす理由を、事業の言葉で1行書けるかです。指標ごとの算出式は人事KPI一覧にまとめています。
事例は金融庁が選んだ上場6社の有価証券報告書から取った
取り上げるのは、日立製作所・NTTデータグループ・横浜フィナンシャルグループ・イズミ・カプコン・デンソーの6社です。いずれも金融庁『記述情報の開示の好事例集2025』に、人的資本や従業員の状況の開示例として抜粋が載りました。決算期はイズミが2025年2月期、残る5社が2025年3月期です。
有価証券報告書は投資家に向けた法定の開示書類で、目標・実績・数え方が同じ表に並びます。指標の名前だけでなく、目標を動かした理由まで読み比べられるのはこのためです。開示制度の変化は人的資本の記事で整理しています。
選ばれたのは、金融庁が投資家やアナリストの意見を踏まえて参考になるとした開示で、上場企業の平均像ではありません。KPIの置き方がうまく回っている側の見本として読んでください。金融庁は同資料で、掲載は各社の開示に誤りがないことを保証するものではないとも注記しています。
目標を下げた年、やめた年に書かれていた理由
イズミとNTTデータグループの開示では、目標を下げることも、目標の設定をやめることも、失敗の告白としては書かれていません。変えた理由を採用方針や定着の確認として書き、次の年に目標をどう置くか、置かないかまで示しています。
以下、イズミ(2025年2月期)、NTTデータグループとカプコン(いずれも2025年3月期)の有価証券報告書から、目標を動かした例と、数字が下がった例を順に読みます。
内部通報件数は、あえて増やす目標を置いた
イズミの内部通報件数は、2022年度の167件、2023年度の138件、2024年度の130件と減ってきました。同社は2025年度の目標を180件、2030年度を200件と、実績より多く置きました。理由は、通報に適切に対応し、より相談・通報しやすい窓口を目指すためと書いています。
件数が少ないことは、問題が少ないとも、窓口が使われていないとも読めます。同社は後者を避ける側に目標の向きを決めました。減れば良いとは限らない数字は、増やすのか減らすのかを先に決めておかないと、翌年の増減を評価できません。
キャリア採用の目標を下げた理由は、採用方針の1行で足りた
イズミのキャリア採用人数は、2023年度の39名から2024年度は16名に減りました。若年層の採用者を、体系的に教育できるよう別の入社区分で受け入れたためです。同社は2025年度も同じ方針をとるとして、「目標人数を70名から50名に見直しています」と書きました。
目標を下げた事実より、下げた理由が採用方針の変更という事業側の判断で説明されている点が要です。読み手は、採用力が落ちたのではないと1行で分かります。
離職率の目標を30%に置き直したのは、数える世代が変わるから
イズミの入社3年時の離職率は、2023年度が25.2%、2024年度が21.7%でした。それでも2025年度の目標は30.0%です。数字だけ見ると目標を緩めたように映ります。
理由は、この指標が毎年ちがう入社年の世代を数える点にあります。2025年度に3年目を迎える世代は、2024年度の時点ですでに離職率が20%を超えていました。同社はこの世代について、新型コロナウイルス感染症の影響で合宿研修を実施しておらず、「同期のつながりが希薄となっていました」と書いています。
同社は世代の事情を見て目標を置き直し、2030年度には25.0%を目指すとしています。打ち手として、年次ごとの合同研修も書きました。離職率の数え方の違いは離職率の記事で整理しています。
NTTデータは達成した指標を「据え置く」か「外す」かで分けた
NTTデータグループの目標表では、2024年度の結果によって翌年度の扱いが3通りに分かれています。未達だった有給休暇取得率(目標87%・実績79.8%)は、同じ87%を据え置きました。達成した社員エンゲージメント率(目標73%・実績77%)も、維持が重要だとして73%のままです。
経験者採用率(目標30%・実績45.7%)など6つの指標は、「定着が確認できたため、2025年度の目標設定は行わない」としています。
達成したら目標を上げる、という単純なルールにはしていません。維持すること自体に意味がある指標は同じ水準を守り、定着した指標は表から外して、残る指標を目立たせています。数字は同社と主要な子会社2社を合わせた3社の集計です。
カプコンは下がった数字を事業の出来事で説明した
カプコンの年次有給休暇取得率は、2024年3月期の84.6%から2025年3月期は82.8%に下がりました。月の平均残業時間も10.1時間から11.4時間に増えています。
同社はその理由を大型タイトルのリリース等による影響と書き、「適正な範囲内と考えております」と評価しました。数字の動きが事業の出来事と結びついているので、読み手は一時的な変化なのか、働き方の悪化なのかを判断できます。
人数のKPIは、事業の数字と対にすると理由が書ける
横浜フィナンシャルグループとカプコンの2社は、人数を数えるKPIと同じ報告書の中で、事業の成果を測る数字も目標つきで開示していました。日立製作所は事業の数字ではなく、Lumada事業の成長という目的を人数と結びつけて書いています。人数が目標に届かない年があっても、事業側の数字と照らし合わせれば、足りない分が事業に響くのかどうかを説明できます。
3社の有価証券報告書に載った組み合わせは次のとおりです。
会社 | 人数のKPI | 同じ報告書で開示した事業の数字・目的 |
|---|
横浜フィナンシャルグループ | 営業人員数 2,395名(2024年度)から2,510名(2027年度目標)へ | 営業人員一人あたりソリューション収益 107百万円から153百万円へ |
カプコン | 開発職(連結)2,846名(2025年3月末)、目標は毎期100名増 | 従業員1人当たり営業利益 17,466千円、目標は継続向上(開発職とは別の表) |
日立製作所 | デジタル人財 107,000人(2024年度、目標97,000人) | 事業の数字は無し。Lumada事業の成長を実現するため、という目的の記述 |
横浜FGは人を約5%増やし、1人あたり収益を約4割上げる計画
横浜フィナンシャルグループの計画では、2024年度から2027年度にかけて営業人員を2,395名から2,510名へ、115名(約5%)増やします。同じ期間に、営業人員一人あたりのソリューション収益は107百万円から153百万円へ、約4割引き上げる目標です。数字は横浜銀行と東日本銀行の2行を合算しています。
ここでいうソリューション収益は、貸出で得る収益に、手数料などの役務収益や法人向けデリバティブの収益を足したものです。銀行の営業担当者1人が、融資と提案でどれだけ稼いだかを表す数字と読めます。
2つを並べると、成長の大半を1人あたりの質の向上で賄う計画だと読めます。同社は営業人員数を増強するだけでなく、スキルや専門性の向上が大切だと書き、法人・個人の渉外担当者のスキル認定で上級と判定された人数を、3年累計187名という目標つきで別のKPIに置きました。1人あたりの質を測る役は、この育成数が担う形です。
この組み立てなら、営業人員数が2,510名に届かない年があっても、上級者の育成数と1人あたり収益が伸びていれば計画は崩れていないと説明できます。人数だけを追うKPIでは、この1行が書けません。
カプコンは開発職の増員と1人当たり営業利益を同じ報告書で開示した
カプコンは開発職を毎期100名増やす目標を置き、2025年3月期は連結で171名増えました。同社はこれを、おおむね目標どおりの推移と評価しています。
同じ報告書には、開発職の表とは別の表に、連結営業利益を連結正社員数で割った従業員1人当たり営業利益も載っています。2021年3月期の10,975千円から、2025年3月期は17,466千円まで伸びました。人を増やしながら1人あたりの利益も伸びているので、増員を続ける根拠として読めます。
日立はデジタル人財の数を事業の成長と結んだ
日立製作所は、2024中期経営計画でデジタル人財の確保を目標に置きました。目標97,000人に対し、2024年度までに107,000人を確保しています。
同社はこの人数を、デジタル技術を活用した社会イノベーション事業を加速し、成長のドライバーであるLumada事業を伸ばすための人財と位置づけ、採用・事業買収と社内の育成の両方で確保してきました。2022年度に設定・公表した3つのKPIは、デジタル人財を含めてすべて目標を達成しています。
カプコンのように採用で開発職の人数を積み増す目標を置くと、届かなかった年の1行は、採用の工程の数字で書くことになります。応募が足りなかったのか、選考の途中で辞退が増えたのか。自社の人事KPIの候補にエンジニアの採用人数を入れるなら、目標を決める前に、今の採用の工程でその人数に届くかを確かめておくと、その1行を先に用意できます。エンジニア採用の状態を項目ごとに採点するエンジニア採用力チェックは、その下見に使えます。
数え方を固定しないと、動いた理由が書けない
目標から外れた理由を書く1行は、数字の数え方が毎年同じでなければ成り立ちません。同じ名前の指標でも、数え方が違えば数字の意味は別物です。デンソーの男性の育児休業取得率は、配偶者の出産に伴う公休を含めるかどうかで、71.7%にも97.7%にもなります。数え方を書いていない指標は、翌年に数字が動いても、取り組みの成果なのか数え方の揺れなのかを区別できません。
デンソーは2つの数え方を並べて書いた
デンソーの2025年3月期の有価証券報告書によると、配偶者の出産に伴う公休を含まない男性の育児休業取得率は、2020年度の9%から2024年度は71.7%へ上がり、目標値を達成しました。公休を含めた育児休業等の取得率は97.7%です。
同社は取得率に加えて、取得期間にも1カ月以上という目標を置いています。「真に育児に参画してほしいという意図を込め」た目標だと書いており、平均の取得日数は73日でした。取得率だけでは、数日だけ休んだ人も1人として数えられます。期間の目標を足すことで、育児に実際に参画したかまで測ろうとしています。
エンゲージメントは5社で5通りの数え方だった
エンゲージメントは5社が目標や実績を開示していましたが、名前も数え方もそろっていません。各社の有価証券報告書から、直近の値と数え方を並べます。
会社 | 指標の名前 | 数え方 | 直近の値 |
|---|
日立製作所 | 従業員エンゲージメントスコア | 誇り・働きがい・やりがい・勤続意欲の4設問の肯定的回答率 | 71.5%(2024年度) |
NTTデータグループ | 社員エンゲージメント率 | 自社で働くことを誇りに思うかを問う1設問の肯定的回答率 | 77%(2024年度) |
横浜フィナンシャルグループ | 会社の総合的魅力 | 無記名の従業員意識調査を5段階で評価(2024年度は神奈川銀行を加えた3行の加重平均) | 3.40(2024年度) |
カプコン | ワークエンゲージメント | 外部業者の調査で他社と比べた偏差値 | 54.7(2025年3月期) |
イズミ | 理念戦略(ミッション・ビジョンへの共感) | 2022年度を基準にしたサーベイのスコア | 63ポイント(2024年度) |
日立の71.5%とNTTデータの77%は、どちらも肯定的回答率ですが、設問の数が4つと1つで違います。数字が近く見えても、高い低いを比べる材料にはなりません。
他社の数字は、そのまま自社の目標水準の根拠にはできないということです。イズミはその代わりに、2022年度の自社のスコアを基準に置き、そこからの伸びを目標にしています。調査の組み立ては従業員エンゲージメントの記事も参考になります。
自社の人事KPIは「理由を1行で書けるか」で選ぶ
6社の事例から持ち帰る判断基準は1つ。候補に挙がった指標ごとに、目標から外れた年の理由を事業の言葉で1行書けるか試すことです。書けない指標は外すか、数え方と対になる数字を足してから残します。
判断基準は1つですが、その1行の書き方には型があります。型の例が見つかったのは横浜フィナンシャルグループ・イズミ・NTTデータグループ・カプコンの4社で、理由の書き方は次の5つに収まりました。日立製作所は目標を上回った例、デンソーは数え方の例として前の章で扱っています。左の型の名前は本記事の分類で、中央の列は開示にある記述の要約です。自社のKPIの候補ごとに、どの型で書けるかを当てはめてみてください。
1行の型 | 開示にあった1行(要約) | 書くために先に決めておくこと |
|---|
対になる数字で補う | 営業人員数2,510名の目標の隣に、一人あたりソリューション収益153百万円の目標を置いた(横浜FG) | 人数と並べる事業の数字 |
母集団の変化で説明する | 数える世代が変わり、その世代は入社時から事情が違った(イズミ) | 誰を数えるか、分母の定義 |
向きを先に決める | 通報件数が減った翌年度に、より相談・通報しやすい窓口を目指すとして目標を180件に増やした(イズミ) | 増やすのか減らすのか |
達成後の扱いを決める | 達成して定着したので、翌年度は目標を置かない(NTTデータ) | 据え置くか外すかの条件 |
事業の出来事で説明する | 大型タイトルのリリースで有給取得率が下がったが、範囲内(カプコン) | 事業の繁閑と人事の数字の対応 |
たとえば「エンジニアを年20名増やす」というKPIなら、1つ目の型で書けるかを見ます。未達の年に「応募は計画どおりだったが、二次面接からの辞退が想定を上回った」と書くには、採用の工程ごとの数字が欠かせません。その数字を取れないうちは、人数だけを目標にしても、未達の年に打ち手を変える根拠が残りにくくなります。
反対に「引き続き取り組みます」という1行は、5つのどの型にも入りません。数字が動いた原因も、次の年に何を変えるのかも、読み手には伝わらないからです。
KPIを決める会議では、指標の名前を選ぶ前に、候補ごとに未達だった年の1行を先に書いてみてください。どの型でも書けなかった指標から外していけば、残った表は、外れた年にも読み手に説明できるものになります。