定着率は、採用の成果を語るときに最後に出てくる数字です。何人を採用したかまでは誰でも数えられますが、その人たちが何人残ったかを見て初めて、採用は投資として評価できます。
ところが、この数字は驚くほど揺れます。同じ会社の同じ年を測っても、誰を数え、いつを起点にするかを変えるだけで大きく動く。後述の計算例では、同じ会社の同じ日付で13ポイント違う数字が出ます。しかも定着率には公的な定義がありません。そのため世の中の解説の多くは、定義のある離職率を借りてきて「100から引けばよい」と説明しています。この引き算は、条件がそろえば正しく、そろわなければ壊れます。どちらなのかを見分けられないまま自社の数字を作ると、良いのか悪いのかわからない数字が社内に残ってしまうでしょう。
この記事では、定着率の算出式を定義から組み立て、引き算が成立する条件を一次資料までさかのぼって示します。
定着率は起点の在籍者が何人残ったかを示す割合
定着率とは、ある時点で在籍していた集団を決め、その集団のうち一定期間が過ぎた後も在籍している人の割合を指します。式にすると次のとおりです。
定着率(%) = 起点時点の対象者のうち観測時点も在籍している人数 ÷ 起点時点の対象者数 × 100
大切なのは、分母と分子が同じ人たちを指していることです。起点で100人を数えたなら、分子で数えるのはその100人のうち残った人だけに限られます。期間の途中で入社した人は、分母にも分子にも入りません。この「同じ集団を追いかける」測り方をコホート型と呼びます。
定着率がコホート型で測られる理由は、答えたい問いがそもそもコホートの問いだからです。私たちが知りたいのは「採用した人は残ったか」であり、「今この瞬間に何人いるか」ではありません。年の途中で採用した人を分子に混ぜてしまうと、大量に採用した年ほど定着率が上がるという、奇妙な結果を招きます。
公的な定義は無く、期間と母集団を書いて初めて数字になる
定着率という指標に、公的統計上の定義はありません。厚生労働省の雇用動向調査は「主な用語の定義」で入職率・離職率・転職入職率・未就業入職率・入職超過率などを定めていますが、定着率はそこに含まれていません。したがって定着率は、使う側が定義を決めて明記しなければ、数字として成立しない指標だといえます。
決めるべきことは、次の3つです。
第一に、母集団です。全社員なのか、その年の中途入社者なのか、特定の職種なのか。エンジニア組織の定着を見たいのに全社で測ると、人数の多い部門の傾向に埋もれてしまいます。
第二に、起点です。会計年度の初日を使うのか、各人の入社日を使うのか。入社日を起点にすると入社月がばらついても比較できる一方、集計の手間は増えるでしょう。
第三に、観測時点です。1年後を見るのか3年後を見るのか。同じ組織でも、1年後の定着率と3年後の定着率は別の数字になります。短い期間で測れば高く出ます。
この3つを書かずに「定着率90%」とだけ示された数字は、比較にも判断にも使えません。指標の数値だけでなく算定方法まで書くという考え方は、人的資本の情報開示を扱った回でも取り上げています(人的資本とは?2026年の制度改正で何が変わったか)。
計算例で確かめる
2023年4月に中途入社した正社員が40人いたとします。2026年4月時点で、この40人のうち28人が在籍していました。3年定着率は28÷40×100で70.0%です。
ここで、2024年と2025年に入社した人を合わせて60人、その在籍者が55人だったとしましょう。3年定着率70.0%はこの数字の影響を受けません。分母を2023年入社の40人に固定しているからです。いっぽう、中途入社者100人のうち在籍83人という全社の数え方に切り替えると、同じ日付で83.0%という別の数字が出てきます。直近の採用が多いほど、この数え方は高く出ます。
定着率・離職率・入職超過率は測っている対象が違う
定着率のまわりには、似た指標がいくつも並んでいるのが実情です。混同を避けるには、それぞれの分母と、答えている問いを並べて確認します。
指標 | 分母 | 分子 | 答えている問い |
|---|
定着率 | 起点時点の対象者数(公的な定義なし) | そのうち観測時点も在籍している人数 | 起点にいた人は残ったか |
離職率 | 1月1日現在の常用労働者数 | 1年間の離職者数 | 年初の規模に対してどれだけ人が抜けたか |
入職率 | 1月1日現在の常用労働者数 | 1年間の入職者数 | 年初の規模に対してどれだけ人が入ったか |
入職超過率 | ―(入職率から離職率を引いた差) | ― | 組織は増えたか減ったか |
離職率・入職率・入職超過率の3つは、厚生労働省『令和7(2025)年雇用動向調査結果の概況』の主な用語の定義がそのまま置いている式です。定着率だけが定義を持たず、使う側の宣言に委ねられています。
この表で目を引くのは、定着率と離職率で分母が違う点です。定着率の分母は起点時点の対象者で固定されるのに対し、離職率の分母は暦年の1月1日という日付で決まります。同じ組織を測っていても、この2つが数えている集団は別物です。
「100−離職率」が成り立つ条件は分母の一致
定着率を離職率から引き算で求められるのは、その離職率がコホート型で測られているときに限られます。分母と分子が同じ集団を指していない離職率を100から引いても、得られる値は定着率になりません。
雇用動向調査の離職率は、コホート型で測られていません。同調査の主な用語の定義は、離職率を「離職者数÷1月1日現在の常用労働者数×100」と定めています。分母に置かれるのは年初の在籍者数です。いっぽう離職者の定義は年初の在籍者に限られていないため、年の途中で入社して年内に離職した人も分子に入ります。分母にいない人が分子に入る構造です。
この構造が無視できる規模かどうかは、同じ調査の実数でわかります。厚生労働省『令和7(2025)年雇用動向調査結果の概況』(2026年8月31日公表)の表1によると、令和7年の常用労働者数は51,337.6千人、1年間の入職者数は7,526.8千人でした。年初の在籍者数に対して14.7%にあたる人数が、年の途中で組織に入っています。この14.7%分の人たちは分母に一切数えられませんが、そのうち年内に辞めた人は離職者数7,052.6千人の中に入ってきます。
したがって、離職率13.7%を100から引いた86.3%は、「年初にいた100人のうち86.3人が残った」という意味を持ちません。年初にいた人の何割が残ったかは、この統計から計算できないのです。
この点は、広く出回っている説明と食い違います。2026年9月7日に実測した10本すべてを通読したところ、9本が定着率と離職率を引き算で換算していました。換算の関係を式で示しているのが6本、式の向きが違う・表記が崩れている・式を持たずに引き算だけを実行している、のいずれかが3本です。うち8本は、雇用動向調査に帰属させた「日本の平均定着率」を提示していました。雇用動向調査は定着率を公表していないので、いずれも離職率から引いた値です。いっぽう、定着率の分母と雇用動向調査の離職率の分母が別物である点に踏み込んだページは、10本を通読しても1本もありません。
離職率そのものの読み方は離職率とは?令和7年は13.7%、3指標で読む方法で整理しています。自社の定着率を出す前に、比較対象となる統計の定義を先に押さえておくと、後戻りが減るはずです。
採用と定着のどちらに課題が寄っているのかを先に切り分けたい場合は、エンジニア採用力チェックで自社の現在地を確認できます。
就業形態で分けると、引き算が結論をどれだけ動かすかが見える
引き算が壊れていることは、就業形態別の数字を並べると具体的に見えてきます。厚生労働省『令和7(2025)年雇用動向調査結果の概況』表1によれば、令和7年の離職率は一般労働者が11.4%、パートタイム労働者が19.9%でした。
これを100から引くと、一般労働者88.6%、パートタイム労働者80.1%という2つの「定着率」が出てきます。差は8.5ポイントです。ここから「一般労働者のほうが定着している」と読みたくなりますが、この差の一部は母集団の入れ替わり方の違いによって生まれています。
同じ表で入職率を見ると、一般労働者12.0%に対してパートタイム労働者は21.7%です。パートタイム労働者は入職も離職も一般労働者の倍近い率で起きており、年初にいなかった人が分子に入る余地もその分だけ大きくなります。入職率から離職率を引いた入職超過率は、一般労働者が0.6ポイント、パートタイム労働者が1.8ポイントで、どちらも人数としては増えていました。
つまり「定着率が低い」ように見えたパートタイム労働者のほうが、組織としては速く増えていたわけです。100から引いた数字だけを見ていると、この向きは読み取れません。
平均と比べたいときは、離職率と入職超過率をそのまま使う
自社の定着率を業界平均と比べたい、という需要には、定着率以外の指標で答えるのが実務的です。公表されている平均値が離職率と入職率で作られている以上、比較の土俵を統計の側に合わせるほうが確実だからです。
厚生労働省『令和7(2025)年雇用動向調査結果の概況』表1によると、令和7年の産業計は入職率14.7%・離職率13.7%で、入職超過率は1.0ポイントでした。前年の入職率14.8%・離職率14.2%と比べると、離職率が0.5ポイント下がっています。
自社の数字をこの平均と並べるときは、統計と同じ式で作り直します。分母は1月1日現在の在籍者数、分子は1年間の離職者数です。この形で出した値であれば、産業計とも産業別とも比較できます。定着率のほうは、平均と比べる用途ではなく、自社の年次推移を追う用途に置くと役割が整理されるはずです。
2つを同時に持つと、読み違いも減ります。離職率が上がっていても入職超過率がプラスなら組織は拡大しており、採用が回っている状態です。逆に離職率が横ばいでも入職超過率がマイナスなら、静かに縮んでいます。1つの数字では、この区別がつきません。
自社で定着率を出すときは、3つを固定してから集計する
自社の定着率を集計するときは、母集団・起点・観測時点の3つを先に文書化し、翌年以降も同じ定義で測り続けます。定義を変えた年の数字は、前年と比較できなくなるからです。
社内の人事システムから数字を取るときに、実務でずれやすい点が3つあります。
第一に、休職者と出向者の扱いです。在籍しているが稼働していない人を分子に入れるかどうかで、数ポイント動くことがあります。どちらの扱いでも構いませんが、決めて書いておきましょう。
第二に、雇用区分の切り替えです。契約社員から正社員へ転換した人を、転換時点で新規入社として数え直すのか、当初の入社日のまま追うのか。ここも先に決めておきます。
第三に、集計の締め日です。月末なのか月初なのか、退職日と最終出社日のどちらを使うのか。年に1度しか測らない指標だからこそ、定義の記録が翌年の担当者に引き継がれません。
求人票で定着率を出す企業の大半は期間を書いていない
定着率は採用広報でも使われる数字ですが、期間と母集団まで書いている例はほとんどありません。Offers に2023年から2026年までに掲載された正社員求人3,719件を対象に、求人本文13項目を横断して集計したところ、「定着率」の語を含む求人は42件(14社)、数値を伴って定着率を開示していた求人は36件(10社)で、母数の0.97%でした。そのうち対象期間を併記していたのは2件(1社)にとどまり、算出方法または母数に触れた求人は0件です(Offers調べ・母数n=3,719・2026年9月時点)。
実際の記載は「★定着率91%」「■定着率:96.7%」のように、期間も母集団も書かずに数値だけを置く形が大半でした。読む側は、それが全社なのか一部門なのか、1年後なのか5年後なのかを知る手立てを持ちません。
ここに、開示する側の機会があります。「入社1年後の定着率」「直近3年の中途入社者の3年定着率」のように母集団と期間を添えるだけで、同じ数字が検証可能な情報に変わります。数字の高さで競うより、条件を明示するほうが候補者の信頼を得やすいはずです。実際、期間を併記していた1社は「直近1年の定着率」と範囲を区切って書いていました。
定着率が動いたときは、採用側の変化を先に疑う
定着率が前年より下がったとき、原因を組織の側だけに求めると打ち手を外します。分母が入社時点の人数で固定される以上、この指標は採用の中身にそのまま影響を受けるからです。
たとえば、採用人数を前年の倍に増やした年のコホートは、母集団の性質が前年と変わっています。要件をゆるめた、選考期間を短くした、経験の浅い層を増やした。どれも定着率を押し下げる方向に働きますが、組織の働きやすさは何も変わっていないかもしれません。
逆に、採用数を絞って要件を上げた年は、定着率が上がります。ここで施策の成果だと結論づけると、翌年に採用数を戻したときに数字が戻り、原因の分析からやり直すことになるでしょう。
コホートを比較するときは、人数・職種構成・経験年数の分布を横に並べて確認します。定着率の差が母集団の差で説明できるなら、そこから先の解釈は要りません。説明できない差が残ったときに初めて、組織側の要因を見にいきましょう。
打ち手は、どの期間で落ちているかを見てから決める
定着率を1つの数字として持っていても、打ち手には結びつきません。同じコホートを入社1年後・2年後・3年後と刻んで測り、どの区間で人が抜けているかを先に特定します。
入社直後の区間で落ちているなら、原因は選考時の期待値と入社後の実態のずれ、あるいは立ち上がり支援の不足である可能性が高くなります。ここはオンボーディングとは?定着と育成を支える設計のポイントで扱う領域です。
2年目以降の区間で落ちているなら、原因は入口よりも仕事の中身と評価の側にあると考えられます。役割が広がらない、成長の実感が持てない、処遇が市場と合わない。この区間の打ち手は従業員エンゲージメントとは?高め方と組織業績への影響の設計に近づきます。
区間を分けずに全体の定着率だけを追いかけると、入口の問題に対して評価制度の改修を当てるような、対象のずれた投資が起きます。1つの数字を分解してから打ち手を選ぶという順番は、離職率の読み方と共通する考え方です。
定着率を数字として成立させるために
定着率は、起点の集団を決めて追いかける指標です。公的な定義が無い以上、母集団・起点・観測時点の3つを自分で決め、明記した上で使う必要があります。
「100−離職率」という換算は、その離職率が同じ集団を追いかけているときにだけ成立します。雇用動向調査の離職率は分母を年初の在籍者数に固定し、分子に年途中の入職者の離職を含むため、100から引いても定着率にはなりません。年初の在籍者数に対して14.7%の規模で人が入ってくる以上、この差は誤差として無視できる大きさではないでしょう。
自社の数字を作るときも、社外へ開示するときも、条件を1行添えるだけで数字の意味が変わります。求人票の実測が示すとおり、そこはまだほとんどの企業が手をつけていない領域です。