生成AIを社員に使わせようとすると、研修で何を教えるかが最初の悩みになります。研修会社の講座を比べても、カリキュラムの良し悪しを判断する物差しが社内に無いことが多いはずです。
物差しは国が用意しています。経済産業省と情報処理推進機構(IPA)のDXリテラシー標準と、総務省と経済産業省のAI事業者ガイドラインの2つで、どちらも2026年に新しい版が出ました。
この2つを研修の内容に写すと、全社員に教える範囲と、社内ルールとして教える範囲が分かれて見えてきます。研修で育てる範囲と、中途採用で経験を確かめる範囲の分け方もあわせて扱います。
AI活用研修の定義と、AI人材育成・DX研修との境界
AI活用研修は、業務で生成AIなどのAIツールを使う社員に、使い方とリスクと社内ルールを教える研修です。対象は特定の専門職に限らず、AIを業務で使う可能性のある社員全体になります。
AIを作る側の人材を育てるAI人材育成や、DX全般の素養を扱うDX研修とは、対象と到達点が違います。本稿の整理では、3つは次のように分かれる。
区分 | 主な対象 | 到達点 | 国の参照先 |
|---|
AI活用研修 | AIツールを業務で使う社員 | 安全に使い、出力を確かめて業務に生かす | DXリテラシー標準、AI事業者ガイドラインの「AI利用者」 |
AI人材育成 | データサイエンティストやエンジニア | AIを設計・実装・運用する | DX推進スキル標準 |
DX研修 | 全社員とDXの推進役 | データとデジタル技術で業務を変える | DXリテラシー標準とDX推進スキル標準 |
AIを作る側の人材の定義と育て方は「AI人材とは?不足の中身と採用・育成の進め方」で扱いました。DX研修を層ごとに設計した企業の例は「DX研修の事例は人数で読む、IPAの20社」にまとめています。
リテラシー不足がAI導入の課題の上位にある
AI導入・運用上の課題として「生成AIの効果やリスクに関する理解が不足している」を挙げた企業は、IPAの調査で45.8%でした。最も多い「専門人材が不足している」(50.1%)に次ぐ割合です。
その次が「適切な利用を管理するためのルールや基準の作成が難しい」で、39.7%でした。IPAは、人材不足・リテラシー不足・ガバナンス整備の遅れを三大課題とまとめている。
出所:独立行政法人情報処理推進機構(IPA)「DX動向2026」(2026年7月30日公表・2025年度調査・有効回答1,799社)。
このうち、効果とリスクの理解とルールづくりは、社員への研修と社内ルールで手当てできる課題です。専門人材の不足は、全社員向けの研修だけでは埋まりにくいので、採用と分けて考えます。
中小企業の77.6%は従業員のITリテラシーに課題を感じている
中小企業を対象にした調査では、「従業員のITリテラシーが高い」に当てはまらないと答えた企業が77.6%でした。AI・ITの導入を進めるための公的支援として、「従業員向けの教育・研修(IT操作トレーニング)」を必要とした企業は67.7%にのぼる。
出所:独立行政法人中小企業基盤整備機構「中小企業のAI等の利活用に係る実態調査」(令和8年3月・有効回答1,668社)。
学習を支える制度やプログラムが充実している企業は35.1%
IPAの同じ調査で、「新しいスキル等を習得することが奨励される」ができていると答えた企業は54.0%でした。一方で「学習を支援する制度やプログラムが充実している」は35.1%にとどまった。
学ぶことは勧められていても、学ぶための仕組みが追いついていない企業が多い。AI活用研修は、この差を埋める仕組みの1つとして置くことになります。
AIツールの利用経験は、中途採用の応募条件にも入り始めた
Offersに正社員求人を公開した企業のうち、必須条件か歓迎条件にAIツールを業務で使った経験を挙げた企業は、2026年に17.4%でした。2025年は3.1%です。
(Offers(株式会社overflow)調べ・正社員求人を公開した企業 n=109社(2026年)・159社(2025年)・2025年1月〜2026年10月10日公開)
求人の書き方には、AIコーディングツールを日常の開発で使っていること、生成AIで業務を効率化した経験といった型がある。当てはまった求人の多くはエンジニアなど開発職の求人で、デザイナーの求人にも見られます。
AIツールを使う力を、社内で育てるだけでなく採用の時点で確かめる企業も出てきました。全社員の底上げは研修で、開発職の利用経験は採用の要件で確かめる、と分けると、研修の対象と求人の書き方を同時に決められます。
エンジニア職の採用を続けるなら、求人と採用ページが候補者からどう見えているかも確かめておきたいところです。エンジニア採用力チェックは、企業URLから公開されている採用情報を5つの指標・24項目で採点し、原則1営業日以内にレポートが届く無料のサービスです。
研修で教える範囲はDXリテラシー標準が下敷きになる
全社員向けのAI活用研修で何を教えるかは、DXリテラシー標準(DSS-L)を下敷きにすると決めやすくなります。DSS-Lは、経済産業省とIPAのデジタルスキル標準のうち、全てのビジネスパーソンが身につけるべきスキルを定めた標準です。
2026年4月に公開されたデジタルスキル標準ver.2.0の分冊版では、AIの仕組みと限界、生成AIの利用方法、入力する情報の扱いまでが学習項目の例に並ぶ。研修の内容に写すと、次の5つに分かれます。
標準の項目 | 標準が挙げる内容(学習項目の例) | 研修での扱い(本稿の整理) |
|---|
What:デジタル技術(AI) | AIができること、できないことを知る。AIの得意分野・限界、最新の技術動向(生成AIなど) | AIが誤る場面を実例で示す座学 |
How:活用事例 | 生成AIの利用事例。文章作成・要約、情報収集、課題抽出、アイデア出しへの大規模言語モデルの利用 | 自部署の業務に当てはめる演習 |
How:ツール利用 | 生成AIの利用方法。画像・文章・音声生成ツールの概要、指示(プロンプト)の手法 | 社内で許可したツールでの実習 |
How:留意点(モラル) | SNSやAIツール、検索等の入力データによる情報漏洩。生成AIなどの学習データ利用 | 入力してよい情報の線引き |
How:留意点(コンプライアンス) | 個人情報、著作権、サービス利用規約を踏まえたデータの利用範囲 | 社内ルールと利用規約の確認 |
出所:経済産業省・独立行政法人情報処理推進機構「デジタルスキル標準 ver.2.0(分冊版:DXリテラシー標準)」(2026年4月)。
標準は行動の例として、生成AIの出力に対し、客観的な事実を確認した上で利用することも挙げています。出力の確かめ方は、ツールの操作よりも先に教える内容です。
生成AIの利用で求められる姿勢は2023年8月に補記された
DSS-Lには、生成AIの利用で求められるマインド・スタンスが2023年8月の改訂で補記され、ver.2.0にも残っています。研修の冒頭で伝える姿勢として、そのまま使える内容だ。
1つ目は、生成AIを「問いを立てる」「仮説を立てる・検証する」といったビジネスパーソンとしてのスキルと掛け合わせて使うことです。2つ目は、期待しない結果の出力や、著作権等の権利侵害・情報漏洩、倫理的な問題に注意が必要だと理解すること。
3つ目は、生成AIによる生活やビジネスの変化に目を向け、学び続けることです。ツールの使い方は変わり続けるので、研修は1回で終わらせず、更新を前提に組みます。
社内ルールの研修は「AI利用者」の事項で組む
研修で教える社内ルールの土台には、総務省と経済産業省の「AI事業者ガイドライン(第1.2版)」が使えます。2026年3月31日に公表され、事業活動でAIシステムやAIサービスを利用する事業者を「AI利用者」と位置づけている。
ガイドラインの共通の指針の1つが「教育・リテラシー」で、AIに関わる者が十分なレベルのAIリテラシーを確保するための措置を講じる、という指針である。AI利用者に関する事項を研修の論点に写すと、次のようになります。
ガイドラインの事項(AI利用者) | 内容の要点 | 研修で扱う論点(本稿の整理) |
|---|
U-2 安全を考慮した適正利用 | 提供者が定めた留意点を守り、想定された範囲内で使う。出力の精度とリスクを理解して使う | 使ってよい業務とツールの範囲 |
U-3 入力データやプロンプトのバイアスへの配慮 | プロンプトに含まれるバイアスに留意し、出力結果の事業利用を責任をもって判断する | 最終判断を人が持つこと |
U-4 個人情報の不適切入力の防止 | 個人情報を不適切に入力しないよう注意する | 顧客や候補者の情報の扱い |
U-5 セキュリティ対策 | 機密情報等を不適切に入力しないよう注意する | 社外秘の資料の扱い |
U-7 関係者への説明と規約の遵守 | 出力結果を個人や集団の評価の参考とする場合は、人間による合理的な判断のもと説明責任を果たす。提供者のサービス規約を守る | 評価・選考にAIを使う場面 |
出所:総務省・経済産業省「AI事業者ガイドライン(第1.2版)概要」(令和8年3月31日)。
人事がAIを評価の参考に使うときは、人の判断と説明責任が前提になる
人事・採用の担当者向けの研修には、U-7の論点を必ず入れます。書類の評価や面接の記録の要約にAIを使うと、出力結果が候補者や社員の評価の参考になるからです。
ガイドラインは、その場合に人間による合理的な判断のもとで説明責任を果たすことを挙げている。人事業務でのAIの使いどころと法規制は「AI人事とは?人事のAI利用39%、5領域と法規制」で整理しています。
AIのルールをどちらも定めていない企業は16.7%
AIを導入・試験利用・検討している企業のうち、全社的な社内ガイドラインやルールを定めている企業は32.5%でした。AIポリシーを定めて社内に周知している企業は28.8%で、どちらも定めていない企業は16.7%です(IPA「DX動向2026」)。
ルールが無いまま研修を始めると、何を守ればよいかを教えられません。研修の前に、使ってよいツールと入力してはいけない情報を、社内ルールとして決めておく順序になる。
受講者の層ごとに研修の到達点を分ける
AI活用研修は、全社員・部門の推進役・管理職の3つの層で到達点を分けると設計しやすくなります。全社員は安全に使えること、推進役は自部署の業務に組み込むこと、管理職はルールの運用に責任を持つことが目安です。
層 | 到達点 | 研修の形 | 効果を測るもの |
|---|
全社員 | 許可されたツールで、入力の線引きと出力の確認ができる | eラーニングと短い実習 | 受講の完了と確認テスト |
部門の推進役 | 自部署の業務を棚卸しし、AIに任せる作業を決める | 自部署の業務を持ち込む演習 | AIに置き換えた作業の数 |
管理職 | 部下の利用ルールを運用し、評価や判断に人の判断を残す | 社内ルールとガイドラインの読み合わせ | ルール違反とヒヤリハットの報告 |
表は本稿の整理で、層の数や呼び名は会社の規模に合わせて変えて構わない。費用の目安と助成の使い方は「DX研修の費用は1人9万〜100万円、厚労省9事例」が参考になります。
AIで効果を感じている企業ほど、業務とスキルの把握に着手している
AIの導入で期待どおり以上の効果を得た企業では、「効率化・自動化が見込まれる既存業務の把握」に着手した割合が37.6%でした。効果が低い企業の23.8%を上回ります。
「人材に必要なスキルの把握」も、効果が高い企業は21.5%、低い企業は12.0%だった(IPA「DX動向2026」)。推進役の研修は、ツールの操作よりも、自部署の業務と必要なスキルを棚卸しするところから始めると、この差に沿った設計になります。
AI活用研修は社内ルールと国の標準から組み立てる
AI活用研修で教える範囲は、DXリテラシー標準ver.2.0のAI関連の項目と、AI事業者ガイドライン第1.2版の「AI利用者」の事項から決められます。前者が全社員の知識と使い方を、後者が社内ルールとして守る線を与える。
組み立ての順序は、社内ルールを決める、層ごとの到達点を決める、標準に沿って内容を選ぶ、の3段階です。研修会社の講座を選ぶときも、この2つの物差しに照らして足りない項目が無いかを確かめると、比べやすくなります。