ジョブ型雇用がうまくいかない理由として、説明不足、評価基準の曖昧さ、企業文化との不一致の3つが挙げられることが多くあります。どれも間違ってはいません。ただ、この3つを避けようとして丁寧に進めた会社でも、同じところで止まります。
止まる場所には理由があります。日本の法律は、職務が変わったからといって賃金を下げたり雇用を終わらせたりすることを、会社の判断だけでできる仕組みにしていません。先行して導入した企業が何をしたかの記録を読むと、そこに合わせた設計が並んでいます。
この記事では、政府が公表した先行企業の記録と法律の条文をたどって、失敗と呼ばれている現象が実際には何なのかを整理します。
この記事が扱う範囲
扱うのは次の3点です。
- 先行企業の記録に実際に現れているつまずき
- そのつまずきを生んでいる法制度上の制約
- 導入前に決めておくべきこと
ジョブ型が日本の雇用慣行に合うのかという議論はジョブ型は日本に合わない?企業が抱える課題と解決策を解説に、反対論として挙げられる論点の整理はジョブ型雇用に反対する理由とは?日本企業の課題と対策を解説にまとめてあります。導入企業の一覧と成功例はジョブ型雇用を導入している企業は?成功事例も合わせて解説を参照してください。本記事では重複させません。
先行20社の記録は、どこで手を緩めたかを書いている
2024年8月28日、内閣官房・経済産業省・厚生労働省が「ジョブ型人事指針」を公表しました。すでにジョブ型人事を導入している20社が、制度の骨格と導入プロセスを開示した資料です。
この指針の中身は、成功事例集とは違います。各社が自分の言葉で、どこを妥協し、どこで苦労しているかを書いています。失敗の原因を探すなら、想像で書かれた事例よりこの記録のほうが手がかりになるはずです。
階層で線を引いた企業が20社中9社ある
指針に載る20社のうち、9社が線を引いています。非管理職の全部または一部を、職務基準ではない制度に残すと明記した企業です。残る11社は階層で線を引いていません。
出所:内閣官房・経済産業省・厚生労働省「ジョブ型人事指針」(令和6年8月28日・n=20・分類は各社の「導入範囲」の記述をもとにOffersが判定)。
線の引き方 | 企業 |
|---|---|
管理職のみ、または一部領域のみ | 中外製薬/三菱マテリアル/ENEOS/三井化学/三菱UFJ信託銀行/東洋合成工業 |
全社員だが一部の職種・階層を外す | オムロン/資生堂/ライオン |
階層で線を引いていない | 富士通/日立製作所/アフラック生命保険/パナソニック コネクト/レゾナック・ホールディングス/ソニーグループ/KDDI/リコー/テルモ/オリンパス/メルカリ |
線を引いた理由は、9社のうち7社までが同じです。育成の途中にある社員を職務で縛ると、経験の幅が広がらない。そう判断しています。東洋合成工業は「製造業の若手社員には、本人の成長のために、幅広い経験を積む過程が必要である」とし、非管理職まで導入すると人材育成につながりにくいと述べています。残る2社のうち、三菱マテリアルは製造現場の社員に合う制度をこれから検討するとし、ライオンは1人が複数の領域をカバーする実態に合わせて柔軟性を残したと書いています。
三菱UFJ信託銀行は、この線引きを制度として明示しました。資産運用やデジタル関連の一部領域だけをジョブ型にし、それ以外はメンバーシップ型のまま残す「一国二制度」と呼んでいます。
この線引きは、二重運用の負担として現れます。管理職だけをジョブ型にした状態でも、外から見れば「ジョブ型を導入した会社」でしょう。しかし中では制度が2本走っています。指針の9社が外した層に別の等級制度を用意しているのは、そのためです。
等級を下げても、報酬はその場では下げていない
より大きいのは報酬の扱いです。指針の20社のうち18社が、等級が下がっても報酬をその場では下げきらない仕組みを明記しています。明記が無いのは2社だけです。
出所:内閣官房・経済産業省・厚生労働省「ジョブ型人事指針」(令和6年8月28日・n=20・各社の記述をもとにOffersが集計)。
会社 | 記述されている仕組み |
|---|---|
富士通 | 非管理職は下位等級への変更後3年間、減額幅を一定範囲に抑える(平時の等級変更にも適用) |
オムロン | 管理職は月額5万円以上の減額のとき、減額幅を毎年5万円まで(平時の等級変更にも適用) |
ソニーグループ | 賃金の減額幅を1年で5%まで(平時の運用と同様と明記) |
リコー | 変更の次年度から毎年一定割合ずつ減額する(導入時も平時も同様と明記) |
ENEOS | グレード給が減るとき1年目は100%、2年目は50%の調整給(平時のグレード変更に適用) |
ライオン | 減額は3年、増額は2年をかけて段階的に変更する(制度導入時の移行措置として記述) |
三井化学 | 減額幅を評価に応じて年1〜3%程度に抑える(平時の等級変更に適用) |
書き方は各社で違います。「激変緩和措置」という語が出てくるのが15社で、この語を使わない3社は、日立製作所が「調整給」、テルモが「経過措置」、三井化学が「緩和措置」と書いています(語の集計はOffersによる)。呼び方は違っても、やっていることは同じです。制度を入れ替える場面に限っても、賃金は数年がかりでしか動いていません。
この事実は、ジョブ型に期待されがちなものを一つ否定します。職務の価値に応じて賃金が即座に動く制度を想定していると、手に入るのは数年がかりで動く制度です。人件費の圧縮を目的にすると、その差で計画が崩れます。
逆の心配についても、指針に実績が1件だけ載っています。富士通は、自律的なキャリア形成を促す施策で退職者が増えるのではないかという懸念があったとしたうえで、「実際には退職率は変わっていない」と書きました。転職を考えていた社員が社内の別の職務への挑戦を選ぶ動きも生じたとしています。1社の記述なので一般化はできませんし、数値も示されていません。それでも、導入後の離職について書いた記述は、この記録の中にこれだけです。
企業自身が書いている、うまくいっていない部分
指針には、各社が現在進行形で抱えている問題も載っています。以下はいずれも原典からの引用です。
出所:内閣官房・経済産業省・厚生労働省「ジョブ型人事指針」(令和6年8月28日)。
会社 | 記述 |
|---|---|
オムロン | 「絶対評価の理由をきちんと自分の言葉で伝え、必要に応じて PIP を適切に遂行できるマネージャーは多くなく、会社としても苦しみながら対応している」 |
三井化学 | 「降給・降格に関しては、厳しい運用はできておらず、降格については明確な基準を整備できていないのが実態」 |
リコー | 「未だに「人事部に決めてほしい」といった意見も聞こえてきており、各部門が制度の運用を自らの責任・自分事として捉えてもらうことには難しさを感じている」 |
KDDI | 「反省点としては、制度設計を行った人事部が、そのまま社員への制度説明を担っていたことが挙げられる」 |
ライオン | 「努力して重要な職務に従事してくれている社員の処遇を十分に上げ切れていないケースがあり、労働組合とも今後の対応方針を協議している」 |
東洋合成工業 | 「制度を導入しただけでは社員は育たない」 |
表の1行目にある PIP(Performance Improvement Plan・業績改善計画)とは、評価が一定の水準に届かない社員と上司が改善目標を決めて取り組む手続きを指します。並べてみると、共通しているのは運用の側です。等級表も職務記述書も作れています。止まっているのは、それを使って人に評価を伝える場面です。
オリンパスは、この状態を「本来のジョブ型人事で目指したい状態が徹底できていない部分もある」と書いたうえで、まだ人の顔を見て職務を割り当てている事例があると述べました。レゾナック・ホールディングスが苦慮していると書いたのは、業績改善計画が「PIP=降格」と受け取られがちな点です。
協議に何年かけたかは書いてある
導入プロセスについては、期間が具体的に書かれています。KDDIが全社的な制度導入までに設けた協議期間は2年で、導入前の1年は労働組合と週次で打合せをしたと記述しました。
レゾナック・ホールディングスは、事業統合と同時の導入だったため協議の時間が限られ、1年程度あればより細かな協議ができたと振り返っています。労働組合が無いリコーの課題は、社員とどう対話するかでした。月次の中央懇談会を、制度の説明と意見聴取の場に使っています。
説明が足りずに失敗する、という説明はよく見かけます。ただ先行企業が費やした期間を見ると、足りているかどうかの基準は年単位です。数か月の説明会で片づく規模の変更ではないということになります。






